164 Moscow

イタリアのサッカーの試合で、ゴールエリァのファールを取られてフリーキックになったことがありました。

誰もがエーッとなりました。

攻めている側もわかるミスジャッジでした。

サッカーは、ミスジャッジも含めたゲームです。

「いただき」でシュートを打っていいシーンです。

フリーキックをする選手は、フワーンと蹴って、わざとはずしました。

誰もが大拍手です。

最終的には、わざとはずしたチームが勝ちました。

サッカー場にいた人は最高のシュートを見たのです。

両チームとも「いまのは誤審」とわかって、もう1つ上の試合をしています。

見た目の試合に勝って生き残るよりも、記憶の中に生きのびています。

みんなの記憶の中に生き残ると同時に、気持ちが自分自身の人生に残ります。

審判に決められることではないのです。

ギリギリセーフかギリギリアウトかは自分の中の判断です。

ぶちキレそうなところを「危なかった。いま怒るところだったよ」というのはセーフです。

ぶちキレそうだったのがぶちキレていません。

「許した」もセーフです。

審判のミスジャッジに、「いまのはおかしい」と食ってかかるのを、ファンは見たくありません。

審判に食ってかかるのを見たくて、競技場へ行っているのではないのです。

ミスジャッジでも「いまのファールは厳しいよね」と言いながら見ています。

そんなこともあると、選手も見ている人もわかっています。

審判も「しまった」と思っています。

すべての人がここで救われるのです。

審判は、「フリーキック」と言ったあとで、「ゴメン、いまのはちょっと違った」とは言えません。

フリーキックをわざとはずすことで、審判の面子もつぶさずゲームの続行を共有できます。

これが大人です。

子どもは、みんなが感動しているのを見て「スポーツっていいな」と思います。

ただ勝つよりも上の世界があるのです。

昔のATMは音声の容量が少なかったから、短いフレーズの切り貼りでメッセージを流していた。
「カードを」+「お入れ」+「ください」
「暗証番号を」+「お押し」+「ください」
「現金を」+「お取り」+「ください」
ある日「ください」だけ無音になる故障が起きて女王様ATMが誕生した。
何もしてないのにパソコンが壊れた VS 何もしないからホテル行こう
(via filemente)

(nobby0-0から)

((((;゚Д゚))))))) RT @naasansan @ogawabfp: 製薬大手エーザイは甲状腺癌の新薬をアメリカのSFJファルマと共同開発する契約。既に製薬業界は「日本が甲状腺癌の重要な市場になる」と予測し動き始めている。業界の動向だけが本当の事を教えてくれる。
第1日目、神は牛を作られた。
神:「牛よ、野へ出て子牛を生みミルクをだせ。牧場のために働くんだ。60年の寿命を与えよう」
牛:「60年も働くのですか?それはきつい。20年で十分です。あとの40年はお返しします」
神:「わかった」

第2日目、神は犬を作られた。
神:「犬よ、玄関に座って見張りをするのだ。誰か来たら吠えるのだぞ。20年の寿命を与えよう」
犬:「20年も吠えるのですか?長すぎます。10年で十分です。あとの10年はお返しします」
神:「わかった」

第3日目、神は猿を作られた。
神:「猿よ、猿真似をして人間を喜ばせろ。20年の寿命を与えよう」
猿:「20年猿真似なんて勘弁してください。犬も10年返したんでしょ。10年お返しますよ」
神:「わかった」

第4日目、神は人を作られた。
神:「人間よ、20年食べて寝て遊んで性交してほかに何もするな。ただ楽しめ」
人:「たった20年?それじゃあまりにも短い。牛と犬と猿の返した分をこっちにくれませんか」
神:「わかった」

そんなわけでわれわれ人間は、最初の20年楽しく遊んでなにもせず、
つぎの20年は家族のために牛のように働き、次の10年は孫たちをあやすために猿真似をして、
次の10年は玄関に座って誰か来るたびに文句を言ってるってわけだ。

成し遂げんとした志を、
ただ一回の敗北によって捨ててはならない

- シェークスピア -

毎日に情熱をもたらす珠玉の言葉 vol.1191 (via hidetox) (via konishiroku) (via gkojax-text) (via atm09td) (via overtechnology) (via flatmountain) (via narukish)
某氏:大企業に務めることのメリットは大所高所の視点を持ち得ること。ただし3X歳で、社内の
話題の9割が社内の人のこと(部長がどうたら…)になる。本来は提供価値であるべき。そうなる前が出どき。

リオネル・メッシ(バルセロナ=スペイン、アルゼンチン代表FW)、シャビ(バルセロナ、スペイン代表FW)、ウェイン・ルーニー(マンチェスター・ユナイテッド=イングランド、イングランド代表FW)。戦闘能力について考えるときに最初に浮かんだのがこの三人の名前でしたが、彼らを筆頭に世界のトップクラスで戦い続ける選手たちが、ボールを取られたあとのプレーを思い出してください。

彼らはボールを「頑張って取り返す」のでしょうか。それはまったく違うことに気がついてほしいと思います。「殺気だって強奪する」のです。これはテレビの画面を通じてでも見て取れるほどですから、実際に見ると本当にすさまじい。これが本当に「戦うヤツら」の姿勢なのです。

なぜなら、本物のトッププレーヤーは、一番大事なものがなんであるのか、よくわかっているからです。

「ボールを取られることほど怖いことはない」
「ボールを取られることほど悪いことはない」
「オレがボールを取られるはずがない」

日本でも昔から、ボールを奪ったあとが怖い、と言われてきました。私が現役時代にJリーグで対戦したときの話ですが、ドゥンガ(当時ジュビロ磐田MF,現ブラジル代表監督)からボールを奪うのは、実はそれほど難しくありませんでした。

しかし彼は、比喩的な表現ではなく、どんなことをしてでも奪い返しにきました。私が奪ったあと、振り向きざまに私を目がけて足を振ってくるのです。一流の選手はみんなそうでした。

ですから私はそこで、奪うだけではなくそのあとにジャンプして逃げる対処法を準備しておくわけです。これはとてもシビアな戦いですが、それが本当の戦いです。本当だからこそ、あんなに面白かったことといったらほかにないほどです。

ちなみに、奪ったあと相手が襲い掛かってくる前にパスで逃げる方法もあります。私はそれをとても嫌っていたのですが。

「取られた取り返せ。それが責任だ」

そんな風にも言われます。しかし、残念ながら頑張ったところでそれはできません。ボールの大切さを理解せずに取られた人が、それを理解している人から取り返せるはずがないのです。ボールを失うのは、本当の意味で責任を負うということを感じられていない証拠ですから、それがわかっている人から取り返せるはずがないのです。

私が指導の現場で、ただ「取られたら取り返せ」と言ったとしても、言われた選手は取り返せません。しかし、ボールを取られることがいかに悪であるかを理解した選手であれば、殺気だった形相で奪い返しにいきます。

(中略)

なぜボールが大事なのか。簡単なことです。私にとってそれがすべてだからです。

もし、味方とパスの受け渡しがずれてしまっても、そのこと自体が問題なのではありません。パスミスでもスローインでもゴールキックでも、どんな形でも相手にボールが渡ってしまうことが大問題なのです。

取り返しにいくものはボールではなく、「自分のすべて」だということがわかっているかどうか。私はそれを知っていました。だから、絶対に自分が取られるわけがない、と思っていました。

(中略)

たった3秒でも、ボールを持っていないと死んでしまうくらいの気持ちでした。私だけではなく、ともに戦ったのはそういう選手ばかりでした。

最前線で自分がボールを取られたら、最後尾まで追いかけ回して取り返すまで納得しません。私もそうでした。でも、それが私だけの特別なものだと思ったことはありません。当たり前のことだからです。

でもいまは、追いかけるのもある程度まで。しかも、大事なものを奪い返すのではなく、なんとなくやっておきました、と思えるようなプレーが散見されます。義務でしかサッカーをやっていないんだな、とわかってしまいます。

4歳の少年の隣人は、つい最近、妻を失った初老の男性でした。男性が泣いているのを見た少年は、男性の庭に入って、彼の膝の上に座りました。少年の母親が、少年にお隣さんに何を言ったのかと尋ねたとき、その子はこう言いました。「何も。泣くのを手伝ってあげただけ」
今の日本の文化現象は、知っている人はどこまでも詳しくなれて、知らない人はいつまでも知らないままでいられる、そういう相互不干渉のまま、それなりの規模を獲得してきたものばかりである。いつ火がついたのかもわからずに、気がつくと出自のわからない“流行”や“人気”に囲まれている。そんな体験を2000年代の日本で一度もしなかった人は少ないのではないかと思う。
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